祈りの時
- 2012/03/11(日) 14:46:00
19009の魂が
安らかでありますように
居場所を失った人たちに
癒しの場所が見つかりますように
笑顔を失くした人たちに
心から笑える日が訪れますように
土が 水が 山が 海が 空が
本来の姿を取り戻せますように
ふるさとへ戻れる日が
早く訪れますように
作物が豊かに実り
家畜が健やかに育ち
海産物が豊漁で
そんな東北を忘れることのないように
皆が明日を信じて生きていけるように
3.11に思いを込めて
心からの祈りをささげます
2012 3.11 14:46 黙祷
366日目
- 2012/03/10(土) 16:57:56
今年はうるう年なので…
あの日から366日です。
あっという間でした。
たくさんの旬友さんから、心配のコメントや
励ましのメール、ありがたい支援を頂きました。
あの時はありがとうございました。
凄い励みとなりました。
本当に旬くんファンは最高です。
私のウチは、家族も無事だったし家も大丈夫でした。
ただ…
港で働く旦那のステップワゴンは、津波に流されて…
思い出のいっぱいつまった車でしたから…
ちょっと悲しかったです。
2011 311 1446
一生忘れる事のない数字の羅列
物凄く、想像もつかないほどの膨大な
大切なものを失ってしまったのですね。
地元の新聞や情報番組やニュースは
毎日のように震災関連の情報を流していますが
ここ最近は、全国ネットの番組でも
特集番組だらけです。
まだまだ、それらの映像を見るのが
辛い人たちもたくさんいることでしょう。
私のように実際に目にしていない者にとっては
作り物のような、映画の世界のような
未だに信じられない世界です。
湾岸沿いの延々と長く続く更地を見た時
驚くほど広く高く積み重ねられた
瓦礫の山を見た時
言葉を失くしてしまいました。
こんな現実が、すぐ近くに広がっているのです。
今でも・・・
瓦礫処分拒否のニュースを聞くたび
悲しい思いでいっぱいになります。
一般人が絶対に安全だから、お願いしますなんて
言える訳がないじゃないです?
でも、その瓦礫に囲まれて現実に生活しているのです。
何なのでしょうねぇ・・・
瓦礫の拒否イコール東北を拒否されているみたいな・・・
そんな複雑な気持ちにさせられます。
旬くんネタを集めるために、あちこち
ネットを見て回るのですが
その時々に、心無い酷い書き込みをよく目にします。
そいつがもし目の前にいたら
胸ぐら捕まえて、ぶん殴ってやりたいような内容が
たくさんたくさん、出てきます。
数日前、地元紙にある中学生の投稿が掲載されました。
福島というだけで車を壊されたり
いじめられたりしてる。
世界中で日本人の行動が大絶賛されたのに
そんな日本人がいることを
とても恥ずかしく思うと・・・
そんな内容だったと思います。
表のきれいな部分だけ報道されていたようですが
本当は裏の汚い部分も、かなりあるのです。
日本は本音と建前の国だと、聞いたことがありますが・・・
窃盗なんてどこにでもありました。
ウチの自転車も盗まれました。
避難所でも色々あったようですね。
小さい子を連れている方はいっそう辛かったようで・・・
子供が泣くと、うるさいと叱られるとか
杖を突いて歩く人は、杖の音がうるさいから歩くなとか
食事配給の時、障害者であろうとも平等に並べとか
そして、事情があって(病人がいるとか)避難所に行けない人は
避難所で配られる食事や支援の品は
受け取ることが出来なかったのです。
同じ被災者なのに・・・
いろんな事をこの1年の間にたくさん見聞きしました。
上記のようなことは、ホンの一部で
ほとんどの人は、親切で温かくて一生懸命で
前を向いて頑張っています。
東北人は粘り強いから、頑張りすぎないで欲しいなと
少しは力を抜いて、長い道のりを
共に手を取り合って生きていければいいなと思います。
本当に辛い人たちは、物凄くたくさんいます。
そんな人たちのために何もしない自分
何をしたらいいのか分からない自分
同じ被災地に住むものとして
ずっと恥ずかしく思っています。
「頑張ろう」という言葉は被災者へではなく
被災者以外の人たちが、被災者や被災地のために
一緒に歩くよという意味で使われるといいなと思います。
犠牲になられた方たちへのご冥福を祈ると共に
いまだ、身内の元へ帰れない方たちが
1日でも早く帰れることを祈ります。
東日本大震災 被害者数
※サイドに関連したデータの一覧があります。
お久しぶりです
- 2011/06/30(木) 16:52:31
しばらくお休みしていました。
前回のブログのタイトルがあれなのでね・・・^^
心配して、コメントを入れてくださった方もおりまして・・・
拍手コメのKさん、秘コメのSさん
ご心配おかけしました <(_ _)>
私は、元気ですよ。
実は・・・
6/22の夜、同居していた旦那の父が亡くなりました。
今年の1月頃から体調を崩し、2月に10日間ほどの検査入院の結果
末期のすい臓がんということが分かり・・・
それから、ずっと自宅で療養生活を送っていました。
余命半年、長くて1年という宣告でしたが
半年も持たず・・・
突然、逝ってしまいました。
ずっとそばにいながら、もっと色々してあげられることがあっただろうにと
切ない思いに駆られる日々です。
先日、初七日を済ませようやく落ち着いてきましたが
まだまだこの先、色々済ませなくてはならない行事や用事があります。
時々、更新が滞る事になると思いますが・・・
ご了承くださいませ。
異常に暑い日々が続いていますね。
熱中症対策を忘れずに
十分身体に気をつけて、乗り切りましょうね~
千葉へ単身赴任していた旦那が、仙台へ戻って
仕事をする事になりました。
こっちへ戻る事が決まった日に、じ~様が倒れて・・・
旦那は死に目には会えずじまいでした。
あと1~2日、頑張ってくれたら間に合っただろうけど・・・
鶴を折ってください
- 2011/06/12(日) 16:48:32
唐突で申し訳ないですが・・・
今年の仙台七夕で、「想いをひとつにプロジェクト」というのがあります。
「復興への願いや支援への感謝の
想いが込められた折り鶴と短冊を募集します」
というものです。
全国から届いた折り鶴と短冊は、8/6~8/8に開催される
仙台七夕祭りで飾られます。
15cm四方の折り紙(赤・水色・黄・黄緑・白の5色)を使用してください。
詳しくは公式HPをご覧下さい。
→2011 仙台七夕まつり 想いをひとつにプロジェクト
折り紙・短冊のダウンロードも出来ます。
それから・・・
旬友のrikoさんのブログで紹介されていた動画が
あまりにも素敵だったので、こちらでも紹介させてくださいね。
→1000smiles
折り鶴って不思議ですね。
折り鶴ひとつで、優しさや・・・
真心、祈り、励まし、愛、そういう全てのたくさんの想いを
表現してくれてるのですから・・・
折り鶴でお腹一杯になったりする訳ではないけれど
きっと・・・
心は満たされると思うのです。
東日本大震災から、3ヶ月が過ぎました。
テレビでも新聞でも、色々特集が組まれていますね。
自分は、ホントにあんな悲惨な事があったのかと思うくらい
普通の生活に戻っています。
でも、ほんのちょっと行っただけで違う世界が広がっているのです。
まだまだ、ライフラインの復旧すらままならない地域が
あちらこちらに、たくさんあります。
東日本の太平洋側の湾岸線が・・・
すべて、ごっそりと持っていかれちゃったのですから・・・
もっともっと、色々な支援が必要なのです。
仮設住宅に入ると、生活に必要な物資や食料の
支援は受けられなくなります。
(自治体によって違うかもしれないけど)
でも・・・
お金も仕事も家族も失っているのですよ。
どうやって、生活していけと言うのでしょうか?
赤十字にたくさんの義援金が集まっていても
ほとんど、被災地のために使われてはいません。
分配の方法で、揉めているらしいですね。
そして・・・
日本政府!(*`Д´*)
これほど、日本の政治家が恥ずかしいと思ったことはありません。
世界からどのような目で見られているのか、分かってますか?
今、すべき事は何ですか?
震災後、日本国民の規律正しい行動は
世界から賞賛の言葉を頂きました。
日本政府も、世界に誇れるお仕事をして頂きたいものです。
息子達が通っていた幼稚園で
園児達に唱和させている、一遍の詩があります。
よわねをはくな
くよくよするな
なきごというな
うしろをむくな
ひとつをねがい
ひとつをしとげ
はなをさかせよ
よいみをむすべ
(坂村真民詩集より)
まだ、立ち上がれない人もたくさんいるのですが・・・
2ヶ月を過ぎて・・・
- 2011/05/15(日) 16:21:42
昨日、独身時代に勤めていた会社のお友達から
電話が来ました。
当時、4~5人の仲良しがいていつもつるんでいました。
彼女とは、よくコンサートへも行ったりしました。
1人また1人と結婚退職をして、ほとんど付き合いがなくなっていましたが
彼女は隣の市に住んでいたので、偶然ばったり会う事が何度かあって・・・
隣の市は震災の被害が酷く、どうしているのか心配ではありました。
電話番号が見つからず、もし大変な事になっていたら
どうしたらいいのか分からず、ずっと迷っていました。
彼女から電話が来て、元気な声にホッとしました。
家族は全員無事とのこと・・・
ただ、旦那さまの車は津波に流され、家も津波で床上浸水だったそうです。
1階の家財道具は全てダメになり、捨ててしまったと・・・
「もう、笑うしかないよ~」と、笑っていました。
私は、ただただ無事でよかったよと言うのが精一杯でした。
その彼女・・・
大地震の後、実家に避難しようと子供2人連れて
車で実家のある仙台市内へ向かっていたそうです。
停電で信号も全て消えていて、道路は大渋滞・・・
そこへ津波が押し寄せ、車はどんどん押し流され・・・
運良く、車は道路沿いの店で止まり
窓から車の天井に脱出、その後お店にいた人に助けてもらい
お店の屋根の上で一晩過ごしたそうです。
震災の日は、午後から雪が降り夜はかなりの寒さでした。
彼女の九死に一生の体験談を聞き、涙があふれてきました。
ホントに、生きててくれてありがとうです。
新聞やTVで、震災のニュースを見るのはもう嫌だと言ってました。
明るく笑って、前を向いて生きてるつもりですが
現実に触れると、涙を抑える事が出来なくなります。
自分はもう大丈夫なのに、普通の生活を送っているのに
被災地に住んでいるというだけで、心が痛みます。
一日も早い復興を望みます。
みんなが、明るい笑顔で暮らせますように・・・
→てをつなごう だいさくせん